2022年5月双子座の新月〜未知の世界は可能性で満ちている。

日本時間で本日午後8時31分に、双子座の9度3分で新月を迎えました。 昨日29日には、行動の星である火星と拡大をもたらす木星が、12星座の始まりである牡羊座で重なりましたので、新しいサイクルの始まりを示唆する強いエネルギーの中にあります。

前回の記事でも述べましたが、特に今月は、現在水瓶座を移行している土星の厳しいプレッシャーを受ける牡牛座での日蝕、そして蠍座の月蝕がありましたので、『過去の清算』ともいえるような変化の中を集合的にも個人的にも(受けるインパクトの大きさの差こそはあれ)通っている最中ですね。 

そこに今回の、双子座での新月です。 エレメントは風、支配星は水星、柔軟と変動の相をもつ星座である双子座のエネルギーは、視点を変える・思い込みを捨てることによって見えてくる新しい可能性を示唆します。

ただ、水星は逆行を続けていますから、6月3日を境に順行に移ってから、よりはっきりとクリアな状況と新しい展開に移行していくのだと思います。

こう、今までしがみついていた惰性や思い込みや歪んだイメージを手放す時、といいますか。 多くの場合、変化への恐れやこだわりがあるゆえに過去にしがみついてしまうのですけれども、未知への好奇心と可能性を探る気持ちが徐々に恐れよりも大きくなっていく転換期。の、今回の新月であります。

そこで、「意図」が有効になってきます。

現状はたとえ五里霧中のようなカオスの状態にあったとしても、望む状況を明確に「意図」する作業は、単に「お願いする」とか「こうなったらいいな〜と夢想する」とかいったこととは少し異なるエネルギーを持つようです。

その「意図(intention)」に自身の「合意(agreement)」が融合されて初めて具現化するのだ、と最近になってあらためて再認識しました。

ヤキ・インディアンのシャーマン、ドン・ファン・マトゥスのもとで修行した、と言い、彼の言葉による多くの著書を残したカルロス・カスタネダは、「意図」について以下のように述べています。

意図とは、思考でも、目標でも、願いでもない。 意図とは、思考が敗北を告げている時に、人を成功に導くものだ。

それは勇士の甘えや身勝手さにもかかわらず作動する。意図とは彼を無敵にするものだ。

意図とは、シャーマンを壁や空間を通過させ無限の彼方へ送り出すものである。 

〜カルロス・カスタネダ

 

『引き寄せの法則』と似たようなものだ、ともとれますが、自分が持つ思考がその現実を引き寄せる、というのと意図とはまた違ったもののようです。

ドアを通り抜けた話。

この「意図」について考えるとき、随分と昔、まんてんがサンフランシスコに住んでいた時に起こった一件を思い出すことがあります。 大した出来事ではなかったのですが、その時に起こった「偶然」が、この意図について教えてくれたような気がするのです。

新しいアパートに引っ越した初日の夜。 外出先から戻ってきて、大家さんから受け取った鍵をドアの鍵穴に差し込み、、、鍵が回らないのです。 何度試してもダメでした。 時はすでに午後10時を過ぎており、だんだんと焦り始めたまんてんは、他の代替案をめぐらせましたが、なにせスマホとかパソコンとか無い時代ですからね。外に出て公衆電話を探して友人に電話するか、隣人のドアを(こんな遅い時間に)ノックするか? 強盗と間違われたらどうしよう。。。

鍵の入れ方が悪いのだ、と思い、何度も何度も20分近くもあれこれと試したのですが万事休す。廊下には人影もなく。

ああ、ダメだ、どうしよう。 呆然とドアの前に立ちすくしてなす術もなく、まんてんが何をしたかといいますと、これは全く自然にそうなったのですが(よほど脱力して思考力が落ちていたのだと思いますが)、そのドアを通り抜ける自分をイメージしたのです。

マジで、そのドアをスーーーッと通り抜けてアパートの中に入っていく自分を明確に”見た”のでした。さらに、ドアノブに手をかけ、回すとガチャリとドアが開き、靴を脱ぎ、アパートの狭い廊下を通り抜け、電気をつけ、窓のシェードを降ろし、部屋の中にあるすべての物に囲まれ、安堵している自分ー 強烈にそのイメージを見て現実に”体験”したのですね。

その数分間、意識がどこかに飛んでいるようでした。 深夜に、薄暗い廊下のドアの前にただ突っ立っている姿を誰かが見たとしたら、ちょっと怖かったでしょうけど 笑

ふと我に返って、ここにいてもしょうがないと思い、階段を降りてビルの入り口に向かいました。 

すると、玄関のドアを開けたと同時にアパートの前に駐車しようとしている一台の車が見えました。

人に出会ったことに少しホッとし、話したところでどうなるわけでもないのに、その車から出てきた男性に話しかけました。

あなたはここの住人ですか、鍵が回らなくてドアが開かないなんてことありましたぁ!? とか捲し立てて、まったく迷惑な話です。

するとその男性はなんと答えたか。 

「僕は、このアパートの鍵を管理している、管理人なんだけど」と言ったのです。

「マスターキーを持っている。その部屋のスペアもあるかもしれない。開けてあげよう」と。

その時は何か他の用事でアパートに来たらしいのですが、その鮮やかな偶然に再び脱力感に(驚きと安堵でね)襲われながら彼の後についていきました。

数十分前に見たイメージどおりに、まんてんはアパートの中にいました。 肝心の鍵はというと、彼曰く「先が少し変形しているね、申し訳ない」とのことだったのですが、それよりもこの日起こった小さな奇跡は大きな印象を残しました。

偶然だといえばそうでしょうが、偶然は必然なり。 

「願う」こととも「希望する」こととも、自分の「意志の力」さえとも違う何か、すなわち「意図する」ということのほんの一片を、宇宙から教えられたような気がしたのでした。

 

この数日の間、意図することについて考えながら、今回の新月をあらたな気持ちで迎えたいな。と思い、

まんてんは今、阿蘇の山奥の宿でこのブログを書いています。 周りは森林で暗闇は深く、外は雨ですが、深く宇宙と対話するにはもってこいの空間です。

ところで余談ですが、今経験している変化の種子ともいうべき出来事が、昨年の11月19日の牡牛座での部分月蝕(ほとんど皆既月蝕でしたが)の前後にあったかもしれませんよ。 日常の中で、あるいは日常とかけ離れた何かを経験していませんか? その時の出来事は今年の月蝕・日蝕と大きくリンクしていますし、私たちが今後進む道を示唆しているかもしれません。

 

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