東日本大震災から10年、鎮静の月から新月へと向かう今年の3.11。

「ここで死ぬのか。」と思った10年前の午後

未曾有の災害、東日本大震災から今日で10年です。まんてんは2009年から2015年まで東京に住んだのですが、その日のその時も、当時勤めていた会社のやや古いビルの6階で仕事をしていました。

ちょうど数日前から、社内会議のために欧州から数名の来賓があり、3月9日の午前の会議中のことです。突然、部屋が揺れ始めました。ホワイトボードを指さして話していたフランス人社員は話を中断し、まんてんは反射的に椅子を引いて立ち上がる体勢をとったのですが、他の日本人社員3人は「あ、地震。」と言ったきり、動きもせず揺れの中で書類をめくっています。こんだけ揺れてるのに一体この人たちはどうしたのだろう。と内心思いましたが、「これぐらいの揺れはしょっちゅうあるからねー ははは」と上司は一笑。

その晩、明日は欧州に帰る、というフランス人社員を交えて晩餐会に出かけました。事前に予約しておいた、東京の夜景を一望できる高層ビルの上階にあるレストランに、まんてんはお偉い方々の通訳としてお供しました。会議の緊張から解放され、みな上機嫌でリラックスした面持ちで談笑されています。ですが、まんてんはどうもソワソワと落ち着かないのです。揺れている。やっぱり、揺れているよ! 思わず隣に座っていた上司に、

「揺れていませんか? 揺れてますよね、感じませんか?」

と聞いてみました。「えー? 君、酔っ払ってんじゃないのぉ?」と上司はこれまた一笑。まんてんは「そうですかね。。。」と独り言のように呟きながら、なにか嫌な予感でいっぱいでした。

なぜなら、この揺れている感覚、“普通ではない”感覚を、3月に入って感じていたからでした。それはそれまで経験したことのない体の異変で、日増しに強くなっていくことに漠然とした違和感があったのです。なんとも表現しがたい、身体中の水分や血が波打っていて、ゆらゆらと揺れているような感覚。目をつぶるとくらーっと渦の中に吸い込まれるような目眩を感じ、歩いていても方向感覚がなにかおかしい。協奏曲のように重なり合って四六時中うゎんうゎんと鳴り続ける高音、重低音、金属音の耳鳴り。日が経っても一向におさまらない頭痛。そわそわとした胸の高鳴りと、お腹から胸をとおって喉に突き上げてくるような圧迫感があり、何度も大きく呼吸してそれを和らげなければなりませんでした。

「これって更年期障害?」とも思いましたが、その体感は、3月11日の朝、ピークに達していました。いつものようにアパートを出て駅に向かって歩き始めて、道中、ペットショップの前で足が止まりました。その店の窓際に置かれた止まり木にオウムがいるのですが、いつもはまったりとした動きの鳥が、その日は頭を半回転して上下にひょこひょこ揺らしながら、せわしく止まり木の端から端までを何度も行ったり来たりしていたのです。いつもはあんなじゃないのに、とその奇妙な動きが気になりながら商店街を通って駅の入り口にさしかかった時、今度はビルの屋上にカラスの大群が見えました。ギャアギャアと一斉に騒がしく鳴いています。 異様な光景でした。

「なんか、変。」

そうして出社し、その日の午後2時46分、突然、最初はじわじわとオフィスが揺れ始め、まんてんは椅子から飛び上がりました。2日前と同じように、「あ、地震。」といって、動きもせず揺れの中でコンピュータの画面を見ながら仕事をしていた上司や同僚が、時間がたつにつれ激しくなっていく揺れに、さすがに顔色を変えて立ち上がり、皆、倒れまいとして机の端にしがみつきました。

あり得ない揺れです。まんてんは1989年、甚大な被害を出した直下型のロマ・プリータ地震をサンフランシスコで経験していますが、それまでに経験したどの地震とも、その日の地震は違っていました。

数分たっても揺れが止むどころかどんどん激しくなっていく中で、壁際にあるスチール製の頑丈なキャビネットが浮きまくって机に迫ってきます。見上げると、古いビルの天井がたわみながら震動していて、「ああ、この天井が落ちたら終わりだ」と、落ちないでくれ、と天井を睨み続けました。

不思議と、走馬灯のように懐かしい風景が浮かんでくるのですね。サンフランシスコの街や、旅した懐かしいあの場所この場所、友人や家族の顔ー あー、今までいろんなところに行ったし住んだけど、まさか東京の、このオフィスで死ぬのかな。 本気でそう思いました。

揺れが多少おさまると、仙台市女川町出身の同僚がオフィスにあったテレビに走り寄り、チャンネルを回しました。映し出されるニュースを見ながら、「あー やばいやばいやばいやばい 津波が来る」と呟いています(彼は、親族の数人と実家を津波で失いました)。 本震の揺れは、東日本全体で約6分間続いたといいます。

 

すべてが寸断されたカオスの中を、黙って人々は歩いた

交通機関は完全に麻痺していました。できるだけオフィスに留まるように、という指示はあったのですが、揺れはいつ収束するかもわからず、古いオフィスの天井は軋み続けています。一同、帰宅するという選択をして、まんてんはオフィスのあった千代田区から杉並区にある自宅を目指して、とりあえず歩き始めました。

歩道は、同じように徒歩で帰宅を試みる人々で溢れかえっていました。依然として余震は続き、仕事用の革靴を履いた足が痛みましたが、ひどく渋滞してまったく動かない車の列を見ても、帰宅困難者で溢れかえった駅やホテルのロビーを見ても、歩き続けるしか術はないように思えました。見覚えのある景色が目に入ると、やっと新宿に着いたことに安堵し、そこからさらに杉並を目指します。

すでに日が暮れかかる薄闇の中を、新宿に多方面から徒歩で流れ込んできた人々が、黙ってひたすら歩いている様は、実にシュールで、また感動する場面にも遭遇しました。

マジックで「多摩方面こっち➔」などと手書きした標識を持って、3月のまだ肌寒い夕暮れの街角にずっと立っていたオタク風の男性、

ビルを解放して「トイレお使いください 気分が悪い方はここでお休みください」と書いた張り紙を貼っている警備員、

歩行者が歩きながら手早く入手できるよう、あるだけのパンや飲料水を店先に出していたコンビニ、

自転車置き場で自転車を盗んでいくような人もおらず、パニックになって声を荒げている人もおらず、泣き言も愚痴もこぼさず、激しい余震が続く中を黙ってひたすらに歩き続ける人々とそれを助けようとする人々。

まんてんはそれに励まされながら歩き続け、やっと自宅に辿り着いた時は、オフィスをでて5時間近くが経過していました。途中、隣を歩いていた見知らぬ女性と目が合い、「どちらまで?」と聞いたら、立川まで。と言っていたので、彼女はまだ歩いているのだろう、と思いながら、とりあえず革靴を脱いで痛んだ足を解放し、地震の揺れのために船酔い状態になっている体を落ち着かせようと、カバンを放り投げて床に座り込んだのでした。

 

闇の中に姿を消しゆく月ー 1つの旅が終わり、新しい旅が始まる

今日で、その日から10年なのですが、その時の記憶は鮮やかで褪せることがありません。東京でさえこうだったのですから、東北の被災地が受けた打撃は言い尽くすことはできません。今年で10年。ネットやテレビで東日本大震災の特集が組まれ、やっと、当時のことや今の気持ちを話すことができるようになった、とおっしゃる方々のインタビューが流れます。ある方は、やっとスタートラインに立った気持ち。と言いました。

今年の3月11日は、2日後に新月を迎えます。3月9日から月は新月の前の最終フェーズ、「鎮静の月(バルサミック・ムーン)」に入っており、月は闇に姿を消していきながら夜空から見えなくなります。

「鎮静の月」の数日間は1つの月のサイクルが終わる時であり、休息、静養、休止、黙想、内観、解放 などを行うとよいといわれます。

あの大震災から10年の区切りを迎えている今日、奇しくも私たちは水瓶座の鎮静の月から魚座の新月へと移行する数日間にいます。その新月には、神秘と癒し、精神性、夢と現実の境界の曖昧さなどをあらわす海王星が魚座にあってコンジャンクションとなり、10年前の3月11日にあった魚座の太陽と第8ハウスでぴったりと重なっています。

第8ハウスは蠍座と冥王星が司どるハウスであり、死と再生、痛みや喪失を伴いながらなお甦る、深い魂の変容をあらわします。

あの日の衝撃、親しい人が波にのまれていくのを目の前にしながら逃げなくてはならなかった、壊滅していく故郷を高台からなす術もなく見守った苦しみや慟哭は、どれだけ時がたとうとも終わるものではありません。

だからこそ、そして今、やはり未曾有のウィルスのパンデミックにある今だからこそ、この鎮静の月から新月にかけて、新生への希望を天の星に繋いでいこうと、まんてんは思っています。

まんてんは下弦の月から鎮静の月にかけてが結構好きでして(自分が下弦の月の日に生まれていることもありますが)、2000年に”Balsamic Moon” というタイトルで日記をつけたことがありました。 

その詩と、地震が発生した2011年3月11日14時46分18秒のチャートと今月の新月のチャートをもって今日は終わりにします。読んでくださり、ありがとうございました。

 

Balsamic Moon

     When the sky is the darkest, 

       where there is no moon visible, 

       all seeds germinate in the dark before they grow above ground. 

     It is in that time, 

       all of our archaic memories are spelled out, 

       and we know what is being done and what is prepared, 

       what will come, 

       what we want to manifest.      

(バルサミック・ムーン

  月がその姿を現さず

  空が最も暗いとき

  すべての種子は 地上で成長する前に その暗闇の中で発芽する。

  その時なのだ、

  私たちの古代の記憶の封印が解かれるのは、

  そうして

  何が為され、何が準備されていて 

  何が私たちの前にあり、

  何を明らかにしたいのかを

  私たちは知っている。)

 

 

 

 

 

 

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